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ノれない日。

久しぶりに今日は飲んでいます。

って、誰かさんのように酒に強いわけじゃないんで、
ビール(大好きなエビスHops!)700ml&芋焼酎1/2水割りで一杯で十分。
んー、そりゃあ生きていれば、仕事もプライベートもいろいろあるんで。
本当は自転車でローラートレーニングしたかったけど、
こんなに夜遅くによる近隣への騒音&氷点下にビビってトレーニングは中止(涙)
こんなことじゃあ、ダメダメなんだけど・・・。

酔った中でメモ。
raison d'tre -存在理由(実在理由)
1.仮説
我が我である事というのは、
他者が自分へ認識していること、認識の内容を認知するということに
多大に依存しているのではないだろうか?

2.前提条件
自己を確認する手法として、
『人間は社会的動物である』ことを動物行動学において設定。
~デズモンド・モリスの考察に詳しい。

3.仮説成立の検証条件(自己を認知する方法・手段)
他者から自分に対しての表情、言動等による。

3.確認(認知へのステップ)
①他者から自分への表現を見る、聞くことにより『自分が存在している』認知に繋がる。
②そのうえで、その他者の表す行為により『他者による自分の価値、立場、見え方』を識別。

4.水平展開
個別、衆人環視による上記3.②について変化を考察。
これは、他者の個であるか、多数であるか、取り巻く世論、環境変化によって、
その外因的心理影響に及ぼされる価値観の変化“ゆらぎ”により
自分ヘの認識内容(立場:上位、下位も含む)の変化はあると思われる。

5.反論
他者がいないと自己の認知はできないのか?
そのようなことはない(断定)
①身体の生理的欲求による行動。
②自問自答などによる、自己、自らの認知行為。

6.考察(または個人的偏見)
①前提条件を覆すことになるかもしれないが、
人間が社会的動物だとしても、自ずから認知行為を行える事実はある。
しかし、他者が表現する行動により、自分というモノが存在し、
その立場、価値というモノを探ろうとする行為があり、
これに依存していることは間違いないと思われる。
-仮説の正当性の確認。

②上記①に対しての疑問
『しかし、多大に依存しているか?』

自己認知のための他者個々の価値観の斉一性がないこと、
他者自身が外的要因により価値観の変動、表現の強弱等が認められることから
自己が認知するための手段として依存の度合いが強くなることは甚だ危険と思われる。
よって、自己の存在意義、実存理由を問ううえでは、他者による要因のみで
自己というモノを判断するのでなく、逆に自己から見た社会評価を込みで考えるべきだが、
人間個々、幼児時代からの自己形成によりその比率は違う。
社会評価のみとなってしまうと唯我独尊になることもありうる。
その場合、他者の表現による認知の依存度は非常に小さくなる。
つまりは、大同小異の社会的動物と言いながら小異の違いの大きさから・・・

って、何を書いているんだ、俺?
・・・だんだんとドツボにハマってきて結論まで行かないのが酔っぱらってる証拠。

やっぱり、酒よりも自転車乗りてぇー!
by curtis_01 | 2009-02-19 00:19 | 自転車
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